報道の「反復性」とネットの「反復性」

http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1034543.html

今思いついた。報道だけかと思ったけどネットにも反復性があることに今気づいた。

個人的に「アニメを見るだけ」の人間ってのはアニメにそこまで影響されてないじゃないかと思っている(そんなヤツは最早おたくですらないわけだが)。どんな媒体でもそうだが、一度受け取った情報はちゃんと噛み砕いて頭で考えないとあまり意味が無い。噛み砕くの過程はそれこそ何でもいいと思う。一人でじっくり考えるもよし、感想をうpするもよし、2chで議論するもよし。ニコニコでコメントするのも実は考えることの一部ではないかと思っている。ここで(ニコニコ以外で)共通しているのは、作品を頭の中で反芻、反復しているということだ。反芻、反復をしているから考えることができる。その結果得た結論自体は日常生活には役立たないだろうが、その過程は役に立つ(形式陶冶ってヤツです)。もちろんその結論に影響を受けることも多々あるとは思うが(それこそ創作の醍醐味)。

さて、意味が分からなくなってきたけど、要するに「反復」「反芻」というのが重要だということです。受験勉強も同じです。人間1回だけじゃすぐ忘れちゃうんですよ。結構な数繰り返したって、数ヶ月もしたら忘れてしまいます。いつだったかの自殺報道みたいな。練炭首吊り飛び降り。
いくら些細な事件だって何度も何度も垂れ流させば「考える」機会を与えてしまうんですよ。コンビニ強盗の報道はさすがに治安上重要だと思いますが(近隣住民への注意喚起になる)、逆にこれだけ報道されてると「コンビニ強盗って楽なんじゃね?」とも思えるように。
同じように、こんなセンセーショナルで残忍な事件だって報道しまくれば「考える」ヤツが出てくるんですよ。僕だって「考え」ますよ。リアルグロ画像なんて見たくないからそんなことやりませんし、正直ひぐらし見ててもキライなやつを「鉈」で八つ裂きにしようとは思いませんが。第一の事件の少女に送りたい言葉は「それをリアルでやるという発想は無かった」。というかひぐらし本編怖すぎて1期4話ぐらいで見るの諦めました。
逆にこれだけ衝撃的な事件でも、報道自粛さえすれば第2の事件は防げたんじゃないかと思いました(結局それか)。結局報道が激しいかどうかが重要なわけです。マスメディアの特性から考えると受動的反復性ですね。

でも、逆にそれでも防げなかったのかもしれません。ネットの「反復性」です。こういう大手ブログで取り上げられれば議論も活発に行われます。議論するというのも同様に「反復性」です。話題になればなるほど、情報摂取量は上がっていきます。しかもこっちは自分から首を突っ込んでいきます。基本的に能動的反復性ですね(ツールを「能動的に」使えば受動的にも使えそうだけど)。

で、まぁ、どっちがマズイかって、ネットと今の報道じゃメディアの規模として全然違うから比較の仕様もないんですよね。あくまで反復性の性質が受動的か能動的かの違いです。
まぁ、どっちも火種にガソリンを撒くようなことしている可能性があるということですね。それにしてもマスメディアの連中はそういった自覚がない気がするなぁ。99.999%の数寄者に届けば良いってことなんでしょうけどね。